2023年8月25日 Lab.Firstを公開しました。

後編)学際とは何か ― 進化と深化

Lab First

前編からのつづき)

自身の興味関心こそを疑う

「えーい、自分がおもしろいからやってるんだ。何が悪い」と開き直りたくなる気持ちも非常に共感するところですが、結局、「自分がおもしろいと思うからやっているんだ」というその「おもしろい」について内省的に考え詰めていないから、すなわち、進化はしていても深化はしていないから、そりゃあ、(その専門も超えた)大勢に響くわけがないのです。その「おもしろい」はあなた個人の問題ですか? あなたはなぜそれを「おもしろい」と思うのですか? というか、そもそも「おもしろい」とは何ですか?? 

「おもしろい」とは「本質をついてる」の別名だと私は考えているのですが、その本質とは、ある事象、事柄においてそれを欠いてはそれがそれで無くなるものであり、つまるところ究極の本質とは、まさに<存在>のこと3)。ゆえに、本質をつこうとする営み、すなわち探究においては、進化もさることながら、いやむしろ深化の営みこそがより大事になってくるというわけです。いずれ死ぬ我々が自身の生、そしてこの世のありようについての実感に触れない真実(なるもの)にいかほどの意味がありましょうか。今を生きる我々は、つい死を忘れています、何かことが起きない限りは。裏返せば、それは常に生を忘れているということです。探求の営みは、それが研究ではなく学問であるなら4)、どのような切り口(専門)であれ、つまるところ、自分(=人間、人類)の存在に意味(←価値ではない)を与えうるものでなければいけません。深化の営み、すなわち<学問>においては、専門や分野などありはしません。研究は数多ありますが、<学問>は一つです。学際(なるもの)を進めるとは、他分野とコラボすること(のみ)にあらず。それは横の連携、分業であり、そもそもその研究が<学問>であるなら、専門を入り口とした深化の先(底)にて必ず他の入り口(専門)からの深化と交わることになる。すなわち、自ずと学際性を帯びるものなのです。どのような分野の研究者との対話であろうが、この学問の域では間違いなく対話可能であり、協同可能です。

――いやいや、我々が求められているのは他分野とのリアルな共同研究なので、そのような抽象的な話は参考にならない。

もしかしたら、こうお考えの方も読者にはおられることでしょう。確かに、本稿では「そもそもすべてが学際だから、学際しなければ! と騒ぐのはおかしい」とか、「探求をまっとうに深めていけば(深化)、自ずと他分野と接触する」といった抽象的、観念的な話をしていますが、そもそも、皆様が研究者として(人生をかけて)本当にやりたいこと、知りたいことは、きっと一つの分野に留まらないことが多いと思うのです。研究者が自身の<問い>に誠実になるなら、その問い、テーマがどの分野のものとか、それはどうでもいいことです。言いたいのは、「学際」とは、学問の性質、もしくは探究の結果であって目的や目標ではない、ということにつきます。

しかし、これでは「リアルな他分野との共同研究の推進」について答えたことになっていないことはわかっています。私とて、一応、学際研究推進のHOW TO めいた文章は書いたことがありますが5)、正直いって、これが役に立つとも思えないのです。どのような方法であれ、どのような動機であれ、本人たちが誠実に一生懸命しっかりとやることが何よりも大事なのですから。分業的な学際を進めるうえで一番大事なのは、参画者らが本気かどうか、です。

<学問>のバトルフィールドを

もうこれで筆を置きたいところですが、学際研究推進を妨げる制度的な課題について触れないわけにはいきません。学際研究が進まない大きな原因の一つに、学際論文の掲載先がない、という現実があります6)。論文を投稿する際は、どうしても特定の専門分野で確立した学会を選択する必要があるわけで、結局、なんことはない、藤垣裕子先生(東京大学大学院総合文化研究科教授、副学長)がいうところの「ジャーナル共同体(=学会)」というものに我々は縛られているわけです。

ただ、この現実も変わりつつあると思っています。様々な学会において学際的な特集や分科会が設立された話はよく聞きますし、実は、私の所属組織の話ではありますが、分野不問の研究ポスター発表大会を9 年前から実施しております。2 年前には分野不問の論文誌()も試験的に発刊し、学際すなわち<学問>の評価について挑戦してみました7,8)。私個人においては一般社団法人を立ち上げ、分野も組織も超えたところでの様々な研究者同士の対話や研鑽プロジェクトを実施しております9)

 左:対話型学術誌『といとうとい』Vol.0(撮影:伊丹豪)  
  〔京都大学学際融合教育研究推進センター Web サイト:対話型学術誌「といとうとい」
  (http://www.cpier.kyoto-u.ac.jp/project/toitoutoi/,2023 年5 月アクセス)より〕
  右:分野不問のポスター発表会場の様子

研究者なら誰でもわかっていることですが、本来、論文は探究の一表現であり、同じ興味関心をもつ研究者同士の対話ツール、手紙のような意味合いでした。そうして、共通の問いを大勢の手によって解明しようとするのが学会の営みでありました。ところが、論文の生産量=研究者の能力と過度に認めてしまうと、そりゃあ、ハゲタカ論文誌や不正も増加して当然ですよね。考えてみれば、我々研究者は論文を書くために研究者になったのではなく、何か知りたいことがあったからこの道を選んだのでした。論文はどれだけ書いたかよりも、何を書いたかが大事に決まっています。

ところで、あなたは論文にしなくてもいいと言われたら、どんな研究をしますか? その研究は、今の研究と一致していますか? 今日、過剰な業績主義を問題視する向きも見られますし、大学が本来の<学問>を取り戻すことが、大学のためにも、産業界のためにも、我が国のためにも、善きことのように思っています。私自身、自分に従い、そのように生きています。

最後に、分野を超えた<学問>の営みにご関心があれば、是非とも京都大学学際融合教育研究推進センター、および一般社団法人STEAM Association の活動をフォロー頂ければと思います。そして、よければ13 年前から毎月やっている全分野交流会(京都大学学際融合教育研究推進センター主催。毎月最終金曜日21 時から。主にZOOM 開催)にご参加くださいませ。お待ちしておりますね。

■参考文献

1) Naoki Miyano, Keisuke Fujii, Yuuki Inoue, Yuji Teramura,Hiroo I wata and Hidetoshi Kotera,”Gene transfer deviceutilizing micron-spiked electrodes produced by the self-or ganization phenomenon of Fe-alloy”, Lab. on a Chip., 2008, 8, 1104 – 1109
2) 宮野公樹:学問からの手紙.小学館,p.107(2 章「学問の役割」),2019
3) 宮野公樹:問いの立て方.ちくま新書,p.28-30,2021
4) 研究と学問の違いについて筆者の考えは、下記を参考。
〔宮野公樹:産学連携の形而上学―大学のあり方を添えて―.現代思想,48(14)102-111,2020〕
なお、本論考は朝日新聞論説委員が選ぶ今月の論考に選出された。
5) 京都大学学際融合教育研究推進センター:初めての異分野合同プロジェクトガイドブック,2016
(http://hdl.handle.net/2433/217771)
6) 京都大学学際融合教育研究推進センター Web サイト:学際研究イメージ調査
(http://www.cpier.kyoto-u.ac.jp/project/inter-research/,2023 年5 月アクセス)
7) 京都大学学際融合教育研究推進センター Web サイト:京大100人論文
(http://www.cpier.kyoto-u.ac.jp/project/kyoto-u-100-papers/,2023 年5 月アクセス)
8) 京都大学学際融合教育研究推進センター Web サイト:対話型学術誌「といとうとい」
(http://www.cpier.kyoto-u.ac.jp/project/toitoutoi/,2023 年5 月アクセス)
9) 一般社団法人STEAM Association Web サイト(https://www.steamassociation.jp/,2023 年5 月アクセス)