谷 時雄
放送大学熊本学習センター所長
前)熊本大学理学部大学院先端科学研究部 教授
(前編からのつづき)
事業化に向けて、畑違いの方々との出会い
――酵母株の選出や醸造試験をクリアして、いよいよ商品化が見えてきましたね。研究の域を超えて、事業として進めるために、準備されたことはありますか。
こういった新たなプロジェクトを始めるには資金が必要です。酵母研究をしてきたため機器類は揃っていましたから、試薬代と解析にかかる費用、あとは口に入れるものですのでマウスを使った安全性試験にかかる費用が必要となりました。研究費の申請は慣れていますが、事業の資金を集めるのは初めての経験です。今回は、熊本県内の大学研究の事業化を目的に設立された肥後銀行の「肥銀ギャップ資金制度」に応募し、支援を受けることができました。
また、肥後銀行からは酒造メーカーの協力が必須だろうと、県内の天草酒造を紹介していただきました。実際の醸造を担う企業を探すところが、このプロジェクトの最大の壁だと思っていましたので、本当に感謝しかありません。そこが見つからないと、「酒類開発に良さそうな酵母を育種した」で終わってしまいますからね。これまで繫がる機会のなかった地域の他業種とのネットワークを広げてもらったことも、我々にとっては大きな進歩でした。
開発した焼酎が1週間で売り切れに!
天草酒造の方に小仕込み試験の結果などを踏まえてお話したところ、「面白いから、うちの芋焼酎で作ってみようよ!」と言っていただき、商品化が実現しました。衛生管理が重要となる酒蔵にとって、製造経験のない新しい酵母を蔵に入れるというのは、なかなか勇気がいることなんですよ。万が一、他の製造している酒類に何か悪さをするものだったら大変ですからね。そういった懸念も踏まえて、快諾いただいたということですから、成功させなくてはと強く思いましたね。
2020 年11月に本格的に醸造を開始しました。焼酎は日本酒と違い蒸留するので、ガス臭を抜くためにも1年程の追熟が必要になります。完成品は、芋焼酎ですが日本酒のような甘い香りとフルーティーさで、今まで飲んだ芋焼酎とは違った香りがしました。味見をするととても美味しく、嬉しさもひとしおでした。完成品をガスクロマトグラフィーしてみると、やはり市販の焼酎に比べて、カプロン酸エチルが多い結果になりましたね。
発売は2022 年4 月に開始し、750kgの芋を原料に1,020 本分を用意することができました(図4)。熊本大学の生協には180 本仕入れたのですが、新聞で報道されたおかげか、なんと3 日で売り切れてしまいました。それ以外の販売分もわずか1 週間で売り切れとなりました。
焼酎に限らず、さまざまなお酒で応用を
――1週間で売り切れとは、大成功ですね! この酵母は他のお酒にも活かすことができるのでしょうか。
ええ、可能ですよ。私たちはこの酵母のさらなる活用方法を模索し、他の酒造メーカーとも連携を進めてきました。Kumadai -T11号株はカプロン酸エチルの高生産株でしたが、この高生産株を親株に、さらにバナナやバラの吟醸香も高いKumadai-M42 号株を育種し、これを用いたクラフトビールの商品化に取り組み、2023年4月に限定400本の発売を開始しました。吟醸香を感じる爽やかな香りが特徴のビールになりましたよ。また、現在は日本酒でも商品化ができるよう開発を進めているところです。どれも県内の酒造メーカーということがポイントですね。
売れるよりも、“世界初”をモチベーションに
一般的な酒類に使われる出芽酵母の協会9 号株は、100 年以上様々な研究がなされて改良された株ですので、味・香り・アルコール発酵能のバランスも良く、大量生産に向いた非常に優れた株です。大量生産のためには条件が少し変わるので、Kumadai-T11号株ではなかなか実現は難しいでしょう。私たちは、現在売れている商品と競争する意図は全くありません。分裂酵母という違った特徴を活かしたジャンルとして、世間に提案しているイメージです。あくまで嗜好品ですので、マニアの方の飲み比べの一つとして楽しんでもらえたらと思います。現状はほぼ儲けはありませんが、ビールは700 円/ 本のうち、50 円が熊本大学の研究基金に寄付されるような仕組みをとりました。400 本分では微々たるものですが、今後人気が出て10 万本、100 万本と増えれば夢がありますよね。
私が大事にしていることは、分裂酵母を用いた酒類の販売が「世界初の試み」というオリジナリティです。もともと基礎研究の過程で生まれたものですし、まだ誰もやってないことに挑戦するという意味でも大学でやる価値がありますね。また、私たちの強みとして、香気成分の解析など商品の良さをサイエンティフィックにアピールすることもできます。これに、地元の企業が協力して“ 熊大発”の特産物が生まれ、地域活性化に繫がり、その収益が大学研究費に回れば、こんな嬉しいことはないじゃないですか。
商品化の経験を踏まえベンチャー化を計画
――大学の研究基金に継続的に収益を回せるように、事業として成立させる必要があるわけですね?
実は、肥後銀行との打ち合わせを行うなかで、九州を中心に大学発のスタートアップ企業へ投資・成長支援を行うQB キャピタル合同会社も紹介していただき、色々とサポートを受けました。今後も商品化を進めていくなかで、資金の受け皿を作ったほうが他社との連携もスムーズだろうとベンチャー化を考えたためです。ちょうど、私が定年退職の時期ということもあり、大学発ベンチャーにすれば今後も大学施設を借りられるのでメリットがあります。
ただ、研究一筋だった私にとって「ビジネスモデルを作る」というのは予想以上にハードルが高く、現在は試行錯誤している段階ですね。現状では、ビール1 本を売って50 円入るだけですし、特許使用料も僅かでビジネスにはなっていません。これまでは酵母を無料提供していましたが、有料にしたり、機能的な部分を解析して健康食品に応用してみたり、収益を出す仕組みを今まさに考えているところです。
大学発ベンチャーを持続させるには高い壁が
最近は、大学研究費の予算が潤沢とはいえない状況ですから、その打開策の一つとして、文部科学省も大学発ベンチャーを推進していますし、新設することで大学としての評価も上がります。ですので、数はかなり増えてきていると聞きますが、実際に持続的に収益を得られる仕組みまで構築し、継続できている大学発ベンチャーがどの程度あるのか、疑問に思うところではあります。形だけ作るのは簡単ですが、継続となるとかなり壁が高いように思えます。
また、ベンチャーを設立しても大学での研究職と兼業する研究者が多いと思いますが、大学にいると研究以外の仕事も多いですから、事業化のために一から腰を据えて取り組む時間をとるのは難しいでしょう。ですので、銀行や投資会社も含め、他業種の方のアドバイスを受けることが重要ですし、そういった意見を踏まえて自ら判断できる力が必要になりますね。
地域にあったオーダーメイド酵母を提案
オリジナルの酵母を作成し酒類製造に繋げた経験を活かし、今後は全国各地の地域ごとにオリジナルの酵母(ローカル酵母)を選出するオーダーメイド酵母が作れたらとも考えています。例えば、熊本城の本丸には、一説には加藤清正が植えたとされる大きな銀杏の木があり、観光スポットにもなっていますが、この銀杏の葉から分離した酵母の同定をやってみたりしています。観光スポットだけでなく、特産物の果物や野菜からローカル酵母を分離/ 育種しても面白いのではないでしょうか。酵母は酒類やパンの製造などに使えますから、新たな特産物を生むきっかけになるかもしれません。実はこうした取り組みを通して、新種の分裂酵母を見つけられたらという研究者としての密かな思惑もあります(笑)。4 種しか見つかっていないだけで、自然界にはもっと様々な分裂酵母がいると期待していますので。
これからも、こうした熊大発・世界初の取り組みを通して分裂酵母の可能性を広げる活動が継続できるように、また、それにより地域活性化が進み、アカデミア研究の支援が少しでもできるように、仕組みづくりを模索していきたいと思います。
掲載元:Lab First Vol.2