茶本 健司
京都大学大学院医学研究科 がん免疫PDT研究講座 特定教授
(兼)がん免疫総合研究センター 特定准教授
■略歴
2006年 北海道大学理学部 卒業
北海道大学遺伝子病制御研究所 助教
2010年 Harvard Medical School, Brigham and Women’s Hospital
2011年 Ontario Cancer Institute, Princess Margaret Cancer Center
2015年 京都大学大学院医学研究科免疫ゲノム医学
2018年 京都大学大学院医学研究科免疫ゲノム医学 特定准教授
2023年 京都大学医学研究科がん免疫PDT研究講座 特定教授
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なりたい職業は、研究者一択
―― 研究者を目指したきっかけを教えてください。
私の父親は科学者ではありませんでしたが、個人的に興味があったのか、小学生の私のためだったのか、「Newton」などの科学雑誌をよく買っていたんです。何気なく手に取ってみると、どの話題も惹きこまれるような面白さがあり、こうした科学の不思議を明らかにしたいという好奇心がふつふつと湧いてきました。サイエンスの領域は幅広いですが、「どうせやるなら人の役に立つものを」と思い、生命科学分野の研究者を目指しました。新薬の開発ができるかも、なんて期待していましたよ。
研究者になりたいという思いは徐々に強くなり、高校生の頃には、大学ではなく大学院のパンフレットを色々と取り寄せて読んでいたのを覚えています。今考えるとかなりせっかちですが、学士はただの通過点で、その先の修士、博士課程で研究している自分を想像するのが楽しみで仕方なかったわけです。
泊まり込みも全く苦ではなかった院生生活
進学先の北海道大学では、最初は有機合成で糖鎖研究を行う研究室に所属しました。もともと興味のあった分野で面白かったのですが、途中、研究室の教授から、「免疫の研究室で募集があるが、興味はないか」という提案があり、研究分野を変更することにしました。ですので、がん免疫を研究し始めたのは修士課程からですね。今の学生は嫌がるかもしれませんが、がん免疫に取り組み始めた頃は本当に泊まり込みで研究に没頭していました。「実験を重ねて想定通りの結果が出る」「先人たちと同じ事象を確かめられている」というだけでも嬉しかったですし、達成感がありましたから全く苦に思いませんでした。
米国での研究生活
―― 卒業後も企業に就職はせずに、アカデミア研究者の道を突き進まれるわけですね?
そうですね。一人前の研究者になるため、博士号取得後には海外で経験を積むのがいいだろうと、前々から考えていました。ですので、昔から英語だけは気合いを入れて勉強していましたよ。最初は、米国ボストンのハーバード大学・Brigham and Women’s Hospital の研究室に留学しました。金銭面に余裕があったわけではなく、たくさんのスカラーシップに応募し、最初は上原記念生命科学財団の支援で、2 年目からは日本学術振興会の海外特別研究員として給与をいただきながら留学生活を送りました。海外留学は生活費も必要ですから、スカラーシップの用意など留学後の生活もきちんと考えて準備を行ったほうがよいですね。
眉唾ものだった、がん免疫研究
ハーバード大学での研究テーマは、肺やがんの血管新生という新たな分野でした。それも悪くなかったのですが、その頃に親交のあったがん免疫研究者の平野直人先生(Princess Margaret Cancer Centre、トロント大学)がカナダのオンタリオに移って研究されるとのことで、一緒に来ないかと誘われました。私の様子をみて、がん免疫に未練があると見抜いたのかもしれません。ここで、平野先生に師事しようと決めたのが、今考えれば、私の人生のターンニングポイントですね。
というのも、PD-1 阻害薬の臨床試験の結果が出始めたのは、2012 年頃からなんです。それ以前の、私が学生の頃なんてがん免疫という分野は眉唾もので、研究者も少なければ、企業からの注目もなく、国の予算配分も少なかったんです。「免疫といえば感染症で、がんとはまた別の疾患」「がんを免疫で治すなんて」と思われていたでしょう。でも、そこで折れずに続けてきたから、今があります。がん免疫研究に戻っていなかったら、また違った人生だったかもしれません。
目の前の結果をモチベーションに
2000年代はがん免疫に対し周りはそっぽを向いていましたが、自分たちのやっているモデルやマウスレベルでは、がんが治癒するという結果が出ていたんです。ですから「やり方が悪いからヒトで証明されていないだけで、がんの免疫療法はきっと存在している。絶対に良い方法はあるぞ」という確信がありました。だって、自分の目で結果を見ていますからね。それが、この研究を貫き通せた理由です。
海外生活で間近に感じた“多様性”
―― 海外での研究生活は日本とは違いましたか。
偶然にも、北海道もボストンもオンタリオも「寒い」という共通点がありますが、そこに住んでいる人は全く違いました。海外では、電車やバスでもすぐ話しかけられるし、陽気な方ばかりなんですよ。登山の際にすれ違う人と挨拶するように、コミュニケーションをとることで、自分が不審な人間ではないと表明する意味もあるでしょう。日本では、電車で隣の方が用もないのに話かけてきたら、少し身構えてしまいますよね? そういった意味でも、留学では研究分野に関する学びもありましたが、何より人の多様性を目の前で感じたことが大きな財産となりました。
現在の研究室も、実は半分が留学生です。性格も宗教もカルチャーも全く異なり、日々驚くことも多いですが、留学の経験があったから自然と受け入れられますね。夏の暑い時期だと、水着のような服で通学する学生もいますよ。ボーイフレンドを研究室に連れてきてイチャイチャしていた留学生には、さすがに注意しましたが(笑)
本庶佑先生との偶然の出会い
―― 5 年間の海外生活を終え、この分野では先駆的業績をあげられている本庶佑先生の研究室に所属されました。やはり、本庶先生と一緒に研究したいという思いがあったのでしょうか。
こんな言い方をすると本庶佑先生(当センター センター長)に怒られるかもしれませんが、本当に運がよかったですね。ちょうどカナダから帰国しようと国内のポストを探しているときに、当研究室の前任者が退職されるとのことで、たまたま募集があったんです。研究室の少ないがん免疫分野で、しかもPD-1 阻害薬先駆者の本庶先生の研究室。こんなチャンスは他にありません。
本庶先生のことは、大学時代から知っていました。当時、本庶先生のもとで研究されていた岡崎拓先生(東京大学定量生命科学研究所)が、北海道大学に来て講義をしてくれたんです。そのときに、本庶研究室の研究内容を伺って、「すごい人達がいるもんだ」と思った記憶があります。まさか本庶先生に直接指導してもらえるなんて、様々なタイミングが重なったおかげですね。
異分野融合の重要性
京都に来て最初の頃は、本庶先生に研究について相談すると、「それではダメ。もっと視野を広げなさい」と言われましたね。当時は、がん免疫以外の分野には目を向けられていませんでしたが、異分野の情報もインプットをしていくうちに、視野を広げるという意味がわかるようになってきましたね。
異分野融合のハードルは高そうと思われたり、異分野の知識は希薄だからと尻込みしたりしがちですが、一歩踏み出せるかどうかだと思っています。実際やり始めると、これまで自分が積み重ねてきた知識で補えることも多いですよ。というのも、免疫、代謝、神経…などそれぞれの研究分野がありますが、それは人間が勉強しやすいように勝手に切り離したものですよね。本来は、人体のなかで複雑に繋がりあっていますから、その繋がりを理解し、いかに全体像をみていくかがカギとなります。
―― 異分野研究の情報収集は、どのようにすればいいのでしょう?
日々、どこにいっても、アンテナを立て続けるということでしょうか。それを続けていると、テーマの広い学会に顔を出すと、他の人の発表内容をもとに「ひょっとして、今の自分の研究に活かせるのではないか…」というのが見えてきたりします。
要は、きっかけとなる鍵穴とインタラクションを探していく作業です。自分はまだまだですが、偉大な研究者たちは、やはり様々なものに興味をもち、広く学んでいますよね。自分の研究分野の世界的レースに参加しつつ、他分野からインプットする時間も確保する、この両立が優秀な研究者になるためには大切だと思います。
(後編につづく)
掲載元:Lab First Vol.2